ELC卒業です!

昨日最終の出勤日を終えました。
私もELCを卒業です…

大変なこともそりゃあありましたけど、
いい思い出の方が多くて、
自分で決めた帰国にも関わらずやはり少し寂しいです。

日本へ戻ったら一か月位はゆっくりして、
旅行へ行ったり、友人の結婚式に参加したりの予定。
その後また仕事を探す予定です。
中国語を生かせるような仕事に就けたら最高ですね。
日本で働くのは初めてなので、少し緊張です。
謙虚な気持ちで挑戦したいです。

ELC、そして上海ありがとう。
私にとって第二の故郷です。



スタッフが送別会をしてくれました!


卒業!




親友と呼べる存在@上海

7年前の上海短期留学時代からの友達2人。
私が上海生活を続けてこられたのもこの2人の存在がかなり大きい。

別にまたいつでも会えるけど…
昨日記念に写真を撮った。
出会ったころは20歳、今もう28歳。

色々変わったはずだけど、あんまり変わってないね。
これからもよろしく。





ちなみに今回撮影をしたお店は「自拍馆」(セルフ撮影館)。
スタジオだけどカメラマンはいなくてリモコンで自分たちで撮影すると
いうもの。1時間200元ほどで、撮影枚数は自由。
撮影後はすぐに写真をデータで渡してくれるのもいい。
小道具は無料でレンタル出来て、衣装などは60-100元。

カメラマンに撮影してもらうのもいいけど、
リラックスした雰囲気で友達や家族とワイワイしながら
撮影するのが楽しい。

卡摖卡摖专业自拍照相(徐家汇店)
住所:漕溪北路99弄尊园2号楼1104室(近美罗城)
電話:4006021588




上海生活の思い出:vol.9 ELCでの日々

私が帰国することになって、後任のルルが来ました。
ルルが来る頃には受付やメールの返信、生徒さんの対応も
徐々にスタッフたちに任せていきました。

最後、ヨシコさんが担当していたサイトの更新を主にしていました。
ELCの仕事の中で唯一私が全くやったことのないものだったので、
これを最後に担当出来たのは大変でしたが嬉しかったです。

引継ぎをしていて感じたのは人に仕事を任せることの難しさ。
自分で理解してやるというのが実は一番楽でした。
引継ぎがほとんど完了した今感じることは、
任せないとスタッフは育たないということと、
スタッフ全員が仕事を共有しながらやることが、
生徒さんにとっても学校にとっても最終的にはいいという
答えにたどり着きました。私も勉強になりました。

7年間上海にいて中国の一番発展が盛り上がった時期を見てきました。
仕事では決して大きな会社ではなかったけど、その分色々な
ことをさせてもらいました。またやったことないことも
まずは試してやってみるという習慣もつきました。
あとはどんなことがあってもなんとかなる!って度胸はついたかな。
中国はいつもトラブルばかりだったので…。

6年いたELCには誰よりも思い入れがあります。
自分で決めた帰国ながら離れるのはさみしいですが、
今後のさらなる発展を祈るばかりです。

長く続いた上海生活まとめシリーズもこれで終了。
お付き合いありがとうございました。

帰国は9/23(月)!
次回の更新が最後の更新となりそうです。



古北全日制第1期生


先生が送別会をしてくれました^^



上海生活の思い出:vol.8 ELCでの日々

2013年〜

この年の一番の出来事と言えばやっぱり「古北教室」の
オープンと「虹口教室」の閉鎖だと思います。

古北教室オープンに向けては内装から始まり、
机や椅子、ホワイトボードの購入などレッスンに必要なものの購入、
事務用品やプリンター、冷蔵庫、電子レンジなど事務所の備品、
テキストなどなど新しく学校を始めるとなると本当に色々なものを
準備しないとなりませんでした。

その他には新しく来るスタッフのために簡単な研修をしたり、
マニュアルを作成したり、教師を採用したり…
今でこそうまい具合に回り出していますが振り返ると
その過ぎた時間の分だけ着実に準備はしていたなと改めて感じます。
営業時間も9:00-21:00と夜まで拡大したので、
初めの頃は虹口の業務がひと段落したら古北に移動して…
と結構負担も大きかったです。でも、やっぱり何か新しいことを
始めるにあたって感じるドキドキやワクワクの方が大きかったですね。

古北がわりと順調にスタートした矢先、
虹口の閉鎖が決まりました。
閉鎖と決定してから引っ越しは2週間後ということで、
さみしいと感じる間もなくバタバタとあわただしかったです。
私が入社する前からあった虹口教室なので正直なくなってしまうのは
さみしかったです。引っ越し当日は意外と涙出なくて、
ただただ今までありがとうという気持ちでした。
生徒さんから惜しまれた虹口教室の閉鎖でした。

私として閉鎖にあたり感じたことは「場所」と言うのはあまり、
大きな意味はないということです。もちろん行き慣れた食堂や、
印刷屋さんなどもありましたが、うまい具合に虹口の雰囲気を
古北に引っ越しできたと思っています。
古いシステムや管理方法などを一新出来るいいチャンスでもありました。


古北教室外観


クラス用の教室


マンツーマン用の教室


虹口教室引っ越し当日


古北教室第一回親睦会


古北スタッフ



上海生活の思い出:vol.7 ELCでの日々

2011年、2012年前半は比較的安定の年だったと思います。
浅野さんから学校運営を任されたのも順調で、
汪さん、ヨシコさんとそれぞれ仕事を分業しながらやっていました。

この辺りで連休コース、全日制に参加したという人も
多かったのではないかと思います。
先生も長く勤務してくれていた人ばかりで、
安定のELCという印象が強いです。

その後少し様子が変わったのが2012年9月以降です。
去年のことですからまだ記憶にも新しい尖閣諸島問題が
起こり、上海でもデモがありました。
予定を早めて帰国する生徒さんや、来る予定だったものの、
キャンセルするというのが多い時期でもありました。
現地にいるとそうでもないのに、とにかく日本の報道があまりにも
過激だったのを覚えています。

尖閣問題が落ち着かないまま、中国は様々なことがありました。
まず大気汚染問題(PM2.5)。北京がひどいと言われていましたが、
上海でも数値100以上を観測する日が続きました。
今更…という感じもしましたが、やはりこれも印象に強く残っています。
私もタオバオでマスクを買いました。

悪いニュースが続く中、とどめをさしたのが鳥インフルエンザ問題でした。
しかもこれに関しては上海での死者が特に多く、
出始めのころは私も少し怖かったのを覚えています。
一連のニュースをうけ、日本から勉強に来る生徒は目に見えて減っていきました。

中国で色々なことが起きている中ELCでも大きく変化がありました。
まずは中国人スタッフ汪さんの退職、日本留学。
新しい中国人スタッフ鄭さん、段さんの採用。
長い間勤めてくれた佳子さんの帰国…

ELCは安定していた印象が強かっただけに、
2012年度は初めてしんどいと感じた年でした。


佳子さん、汪さん、私


いつもみんなで食べたランチ


鄭さん、段さんを迎えたELCスタッフ


2012-2013年年末年始コース




上海生活の思い出:vol.6 ELCでの日々

私がELCで仕事をする上で大きな転機になったのは、
2010年の上海万博の頃だったと思います。

浅野さんが上海万博関係の仕事をし始めるようになってから。
開幕が5月だったのでその前からわりとELCを空けることが
多くなりました。

その頃には出産で帰国していた名畑さんも戻ってきてたけど、
毎日は出勤していなかったから私が中心になって
学校を運営しなければならかったことはそこそこプレッシャーも
あって大変でした。

いつまでも新卒の気持ちではいられないと、
意識が変わったのもこの頃だったと思います。

今振り返ると2008年の北京オリンピックがあって、
2010年の上海万博があって…
中国の発展を見てきた7年間でした。

交通が整備され、古い家は建て替えられ、
浦東に森ビルやでっかい万博会場がで〜んと出現し、
買い物はタオバオになり、iphoneが流行して、
微博や微信が交流には欠かせないツールになった。
7年だったけどスピードとしては10年分以上のものがあったと思います。


スタッフ


楽しかった事務所


またまた大賑わいの年末年始コース




上海生活の思い出:vol.5 ELCでの日々

ELCには当時私のほかに知る人ぞ知る名畑さんというスタッフがいました。
この人は上海10年選手で年の割には落ち着いたお姉さんという
感じで教師の管理や手配などをしていました。

とにかく中国語が上手でようやっと生活会話が出来るという

私からしたら本当に雲のような存在で…よく発音も直されました。
しおりを作ったり、掃除をしたり、雑務をしていた私が、
いよいよELCで頑張らなくちゃいけないとなったのは、
この名畑さんが妊娠してELCを辞めるとなった時でした。
今考えると良く覚えていないけど、当時は不安で不安で仕方なかったですね。
ただもうやるしかないってなってなったんですね。

先生の面接をして、契約書を書いて、実際に手配をして…
生徒の反応を見て調整して。
妊娠だの、帰省だの、結婚だの、辞めるだの、
当然と言えば当然ですが教師の管理は結構大変でしたね。
ELCの一番大事で、一番大変な部分だと思います。

先生から違う先生を紹介してもらったり、
「关口(ぐあんこう〜)」と慕ってくれる先生もいて、
中国で仕事してるな!と一番感じるのが先生の管理でした。
ただ、先生なのでもともと真面目な人が多く、
きっと実際に中国人スタッフを数十名管理するというのは、
先生を管理するのとは全く別物何だろうと思います。

もちろんこれは私一人でなく、常にいる(出たり入ったり)
ELCの愉快な仲間たちと時には焦りながら、でも笑いながらの仕事でした。

仕事というよりは自分の居場所というか、
私も初めて働くということもあって自然にELCが上海生活の
中心になっていきました。


懐かしい写真


前はよくホームパーティも


レアなスタッフ写真

第一回年末年始コース忘年会


第一回年末年始コース新年会




上海生活の思い出:vol.4 ELCでの日々

そんなこんなで始まった上海生活第二章。
一番初めの仕事は確か「史織のしおり」作成でした。
これは確かまだ日本で上海で働くための生活資金を貯めるために
シャトレーゼでバイトをしていた時だったと思います。

浅野さんからメールが来て、上海に来たら学校の周辺案内を
作ってほしいと言われ、「あ〜じゃあ史織のしおりですね!」と
冗談で言ったのがきっかけでした。

当時の浅野さんはこんな風に書いてます。
http://j-blog.ez-language.net/?eid=794667

上海に到着してからELCに挨拶に行き、枕の贈呈式?を済ませ、
あらかじめ探しておいてもらった部屋に引っ越ししました。
今考えたら勝手に部屋を決められるというのは結構笑えます。
確か不動産の仲介料だけは浅野さんが払ってくれた気がします。
この支払いでシャトレーゼで貯めたお金はほとんどなくなりました。


枕の贈呈式

当時はちょっと中国語を勉強しただけのアルバイト経験しかない
ひよっこでしたので、主に史織のしおりの作成や、
イラストを書いたり、打ち込みをしたり…、ELCアパートの入居案内
をするくらいの毎日でした。

仕事開始から三か月は試用期間ということで自給○○元だったので、
1500元の家賃を払うのにもヒーヒー言ってたのを思い出しました。


誰かの誕生日のケーキを食べているところ


お気に入りの一枚


書初め


一番初めに撮った写真(笑)若い!






上海生活の思い出:vol.3 ELCでの日々

2008-2009年

上海での思い出の大半…というか留学を除くすべては
ELCそのもの。ELCと歩んだ上海生活でした。

生徒さんによく聞かれる「どうしてELCに入社したの?」と
いう質問。なんども説明してきましたが、改めてまとめます。

確かあれは2007年の11月頃だったと思います。
語学留学も後半に差し掛かり、あと数か月で帰国という時期でした。
短期留学で上海に惹かれて一年の留学したものの、
その熱は冷めずまだまだ帰りたくない、もう少し上海にいたい
と思ったのがそもそものきっかけ。

復旦大学でたまたま見かけた資料で上海大学内に日本の
就職あっせんをしている会社マンパワーがあることを知りました。
日本で働いた経験もなければ、就職活動を本格的にやった経験も
なかったので、こんな私が上海で働くことが出来るのか?
仕事はあるのか?現状を聞くだけでもと思ってマンパワーに連絡を取り、
実際に担当の方と会うことになりました。

その日は確か、今まで自分のやってきたことなどを一通り説明したり、
希望職種について話をしたことを覚えています。
1時間くらいで終了したかな。

数日後一件の求人案内を受け取りました。
それがELCだったんですね。
面接を二回して、家族の了承を得て、ELCでインターンシップとして、
働くことになりました。

後日談…

実はELCは新しいスタッフを雇うつもりはなく、
マンパワーの担当者がどうにか実績を作りたいと、
知り合いだった浅野さんにお願いして作った私向けの求人だったらしいです。
とにかく面接だけでもと(笑)
まあ、浅野さんも面接位ならええかと。
これも後で知った話ですがマンパワーにとっても初めての紹介だったと。

なんだか笑っちゃうような話ですが、この時はELCにこんなに
長く勤めることになるとは思っていなかったですね。
本当に不思議な縁からスタートしたELC勤務でした。


みんなで行った「周荘・蘇州」


よく食べにいったウイグル料理「羊肉串」




上海生活の思い出:vol2.復旦大学留学(一年)

2007年2月〜2008年1月

短期留学ですっかり中国にはまってしまった私。
就職活動でも中国関連の仕事を!と息巻いていましたが、
ふと気づいた時に気になったのはこの中途半端な中国語。

短期留学帰国後に中国語検定3級に合格。
一か月でこれだけ詰め込んだらまずまずなものの、
3級レベルじゃあ、中国語話せますなんて恥ずかしくて
言えたもんじゃない。

そんなときにふと聴いていた台湾のラジオから流れてきた
中国語の歌を聴いて思い立ってしまったんですね。
これが2007年12月のこと。閉め切ってしまった留学の受付を
どうにか大学の国際交流課のスタッフさんに頼み込んで、
ビザ、健康診断、引っ越し、卒論をどうするか?
…色々と急いでの準備になりました。

今考えたら急にこんなことを言い出して、家族や友人は
びっくりしたと思います。
大急ぎで行った準備も無事に終了して、
一年間の復旦大学の留学が始まりました。

大学のレッスンは月〜金の午前中。
スタートはなんと8時。

留学はどうだったかと言うと…
大学生らしく遊びまくったし、国内旅行も予定していたところに
行けたし、大満足だった。

家賃1200元(当時で2万円くらい)のアパートに住み、
上海から卒業論文を提出し、
韓国人、インドネシア人、タイ人、フィリピン人…
たくさんの友達が出来て、HSKは最終的には7級をゲットして
終了した上海留学でしたよ。


あれよあれよと参加することになったスピーチコンテスト


スピーチコンテスト




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